この記事は個人的な話ですが、人によっては辛い内容かもしれません。「そういう考え方あるのね」というスタンスで読んでいただけると幸いです。

【目次】
・治癒
・命~父の場合
・やりたかったことは分かる

治癒~ある外科医の話

これは、外科医の知人が
患者やその家族には言えないけど、
と話してくれたことです。

「本当の死因なんて医者でも分からない。

長年この仕事をしていると、
明らかに良くなっていたのに
急逝という現実に直面することがあって

”命については神のみぞ知ること”
と思い知らされる。

だから医者は医学の探究と同時に
魂についても学ぶ必要があるし

患者さんにも、そういう話ができたらと思う」

今は、彼の想いに賛同できるけど
20年前、父を亡くした直後だったら
受け入れがたい話だと思う。

今の私は、20年前よりは
理解が深まっているけど

だからといって
大切な人が光に還った時の痛みが
少なくなるかと言えば

残念ながら、そんなことはない。

ただ、
人智を超えた領域だと思えば

「他の治療法もあったはず」
「本人も悔やんでいるに違いない」
などと、必要以上にじぶんを責めずにすむかもしれない。

あなたは、どんなふうに考えていますか?

命~父の場合

父は普通の?経営者ででしたが
スピリチュアルな話をよくする人で

子ども心に、なんだか無責任な感じがして
父のことは大好きだったのですが

父のスピリチュアルな話は
大嫌いでした。

父の死後15年過ぎたあたりから
少しずつ
父の言っていたことが分かるようになって

生きているうちに、ちゃんと聴いておけばよかったな~と思う今日この頃です。

私が父から聴いた話は
多くの人も語っていることですが

根拠のない話なので
違和感のある方は
どうぞ聞き流してくださいね。

それは、
寿命も含めて
この世で起こることは
「自分で決めてきている」ということ。

「細かく決める」「ざっくり決める」
「アレンジあり」など色々だけど
「じぶんの意志」であると。

父は若いころから
「63歳の誕生日を迎え1カ月足らずで死ぬ」
「家で死にたいから事故じゃなく病死」

とか言っていたのですが
モチロン私達家族は
全く・・・、相手にしませんでした。

亡くなる半年前くらいも
「あと半年か」と言っていたのですが

「また始まったよ、お父さんたら」と
スルーしていました。元気だったし。

でも
現実に・・・

念願だった移住先の伊豆高原で
6月26日に63歳の誕生日を迎えて

1か月足らすの7月18日
光に還りました。

伊豆の家が完成して僅か1年でした。

「やりたかった事」は分かる

父が亡くなる少し前、
小さな孫たちを連れてハワイ島に行く予定で

父にとって初の海外になるはずが
パスワードが交付される頃、もういなくて

「行きたかったろうに」と
悲しみの淵に落ちてしまったけど

「自分で決めてきている」なら
「やりたかった事」を父は終えていたのかもしれません。

「やりたかった事」は本人にしか分からないし確認のしようもないけど

寿命を覚えてなくても、その時期が近づくと

ちゃんと魂は覚えていて
「やり残したこと」に気づいて
もの凄い勢いで、やり遂げようとする。

だから
「じぶんの直感を”気のせい”
と流さずに、大切にしなさい」
と、父は言っていました。

だから、もしもあなたに
気になるけど、躊躇しているコトがあるなら
やってみる価値はあるかもしれません。

神のみぞ知る領域には、
不思議な事実が存在することを

どれほど学んでも、
何度でも思い知らされるから。

どうぞ、じぶんの直感も大切に。
いろいろあるからこそ
じぶんを癒して生きてきましょう。