「心と体を整える仕事に興味あるけど、適性ありますか?」という質問、時々いただくので、私なりの考えを書いてみました。
【目次】
・会社員時代の悩み
・心と体を崩した経験は?
・”克服”だけが強味じゃない
会社員時代の悩み
「適性」という言葉には25年の会社員時代ずっと苦戦した思いがあります。
というのも
人事制度設計に長年携わっていて
就業規則や細則ルールなどに
〇〇の適性とか、要件とか
とにかく明文化しないことには
給与や賞与などに反映できないわけで
その前の経営や従業員組合との合意とか
とかく言葉尻を捕らえて
あれやこれや言われる日々で
明文化すればするほど
制度設計した時の思想から
どんどん乖離していくように感じたことを覚えています。
だから今、できるだけ
世の中にある明文化された様々なことに
縛られないように意識しています。
心と体を崩した経験は?
そんな私がなぜ、セラピストの適性について
書いているかというと
「心と体を整える」に興味をもった方のうち
約9割も「私には適性ないのでは・・・」という相談を受けるからです。
ということは・・・
「相談する前に諦めている人がいるかも」
と今頃気づいたというお粗末な話・・・。
「じぶん整うLab.が考えるセラピストの適性」とは
「生まれながらに備わっているもの」なので
誰にも適性があります。
そして
心や体を崩した経験は
「ない」よりは
「ある」ほうが断然いいです。
なぜなら
ギックリ腰も花粉症も
痩せられないも太れないも
学校や会社にいけないのも
すべて経験した人にしか、その辛さが分からないからです。
でも・・・
多くの方が誤解をしています。
私もその一人でした。
2015年にじぶんの心の状態に気づかされた時も
「プロ失格だ」と思ってしまいましたが
「心や体を崩すような人は
プロフェッショナルじゃない」
というのは誤解です。
克服だけが強味じゃない
たとえば
ギックリ腰だとしたら痛くて辛い
ギックリ腰の経験があったからこそ
予防やメンテの重要性に気づけるわけで
残念な経験はとても貴重です。
そして
これも誤解が多いのですが・・・
心や体を崩した場合
克服しない限り、強味にならない
と思っていませんか?
私は違うと思います。
「克服した」完了形の話に説得力はありますが
「今も尚、整えてる」現在進行形の話には
さらに説得力があるのではないでしょうか。
私たち生物は生きている限り
崩れたり乱れたりするものだから
生きてる限り「完了」しないし
「現在進行形」で整えている方が
「自然」だと思うのです。
そんなワケで
少しでも誤解が解けて
誰がが前に進めたら
という思いで書いてみました。
質問などありましたら、どうぞ自由な気持ちでお問い合わせくださいませ。
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ご興味ある方は、こちらにも書いています。